FOREST
10年ほど前、京都の美山町にある、芦生(あしゅう)地方を初めて訪れた。そこは茅葺き屋根の家が立ち並ぶ集落で有名な村だった。
この地域にある原生林を撮影し、映像作品にした。それはおよそ1時間に及ぶ。暗い森の映像から始まり、だんだん明るくなっていく。そして再び暗くなって終わる。この森はほとんどの部分が天然林、そして一部が原生林となっている。いわゆる人の手が全く加わっていない場所のことだ。
よって我々は、この森を調査することで、自然の生態系の仕組みについて学ぶことが出来る。
私はこの森を循環する生態系と、自然の持つ力の象徴として表現した。我々は生き物たちが、いかに他の種の植物や、小さな虫や動物たちと、共生することで生存を続けているかを学ぶことが出来る。彼らは互いに協力し、共に生きることができ、そのバランスを保っている。
映像は、朝から夕方までの自然の1日の繰り返しのようだ。この作品の目的は、まず観者に自然の壮大な美しさを見せたかったことだ。
それから、私はこの森で植物と生態系の調査、研究を数十年にわたって続けてきた、ある研究者をガイドとして、彼と一緒に森を歩いた。彼と一緒に歩く中で、私は彼からレクチャーを受けた。
これがきっかけとなり、私はエコロジーと生態系の危機的状況について理解するとともに、強い関心を持つようになった。
現在、この森は危機的状況にある。原因は二酸化炭素ガスによる気温の上昇という、気候変化である。森は今、劇的に悪い方向へ変化している。しかしそれは依然として美しい。そこには樹齢数百年に及ぶ樹木が何本もある。私は自然のパワーを感じずにはいられなかった。
一方で、人間に起因するいろいろなダメージは深刻な状況にある。私はそれを批判するためにある手法を用いた。それは、映像に流れる自然の効果音だ(鳥の鳴き声や蝉の声など)。
私はそれらの音を、何重にも重ねて、だんだん大きくし、最後にはその音量が不自然なほどにうるさくなるようにした。それは暗に、環境破壊により生態系のバランスが崩れ、ある種の動物や虫たちの個体数が異常に増えたりしていることを表現しようとした試みである。
XYZM 2002
FOREST / video work / 38min.(Edit Version) / 2002
images from "FOREST"
その他の映像作品
エピローグ
私のこれまでのアーティスト人生を振り返ってみると、いつがピークだったというのを決めるのは難しく思います。しかし、ピークが2回あったとすれば、1回目はロンドン時代、”MIND THE GAP" の一連の作品を作ったころだと思います。作品で言えば、大学院の修了制作と、翌年のプロジェクト、地下鉄に作品を持ち込んだ、”Exhibition On The Train” あたりではないかと思います。
”MIND THE GAP" という言葉は、まさに価値観の違う人と人との間には溝があり、それに注意することの大切さ、そして互いが同じになるのではなく、違いを認め合い、異なる者同士がコミュニケーションするためにそこに橋渡しをする、まさに私がそんな懸け橋になりたいという、ロンドン時代の私の作品に、一貫して流れるコンセプトをもっともよく現した言葉であり、私のコンセプトを象徴する作品ではないかと思います。
そしてそれはまた、私が毎日通学で使っていた地下鉄から引用した言葉であり、同じサインでも、異なる文脈に置くことで意味が違ってくるという、アートの方法論そのものをテーマとした私の作品を代表するものでもありました。
次につながる”Exhibition On The Train” でも、今度は作品を美術館やギャラリーから、ストリートへ持ち出し、異なる文脈においてみるという実験であり、コンセプトはつながっています。
さて、それをロンドンでの作品の集大成とするなら、2回目のピークはいつかと言うと、それはやはり日本で大学教員時代の終盤、「生命の記憶」から、「生命の変遷」へとつながる、椿をモチーフとした日本画作品ではないでしょうか。
代表作を上げるとすれば、教員時代最晩年の大作、「生命の変遷4」と「生命の変遷9」あたりだと思います。
当時はこの頃の作品のテーマは環境問題、とりわけ自然環境の破壊への警鐘だと言ってきましたが、今作品を見ても、作品からはそういったコンセプトはあまり見えてこず、意識の上ではそうだったのでしょうが、無意識ではモチーフとなった樹木や花などの植物は、私自身を表していたのではないかと思います。
日本に戻り、大学教員となった私ですが、大学では日本画コースの教員となり、ロンドンでやってきた現代美術との間にはギャップがあり、それに酷く苦しみました。
はじめは版画というメディアで作品を制作していましたが、やはり日本画教員である以上、日本画で作品を作らなければいけないという無言のプレッシャーがあり、はじめはメディアの違いだけで、どんなメディアでも表現することは可能だと自分に言い聞かせていましたが、やはり日本画というジャンルは現代美術とは異なる文化で、そこにギャップを感じ、はじめはそれを克服しようと試行錯誤しながら、努力を試みましたが、やがて挫折し、絶望感を感じるようになりました。
私は自分が自由に表現できない、見えない圧力に屈しているのだと感じ、そんな私の心情は、自ら動くことはできないが、ひっそりとたたずんで咲いている花、喋ることはできないけれど、ちゃんと生きていて、黙って咲くことで自己主張をしている花に、自分の意見を言うことができなくなり、それでも自分が生きていることを必死で主張しようとする自分、何かを表現しようとする自分の姿をなぞらえていたのかもしれません。
はじめはまだ若くて美しい花を描きましたが、やがて生命の変遷シリーズへ移行すると、今度は枯れかけた花や、地面に落ちた椿を描くようになりました。
私が目指していたものは、まさにゴッホのひまわりでした。
そのころの私は心身ともに疲れてきていて、だんだんと自分が衰えて、生きる活力がなくなっていくのを肌で感じていましたから、そんな自分と重なり合うものがあります。
私の当時の作品を見て、わびさびだと評されたことがありました。当時の私は否定しましたが、今見れば、そう捉えらえることも、自然に受け入れることができます。
そして限界を迎え、うつ病を発症して倒れ、仕事も辞めざるを得なくなると、制作意欲もなくなり、2019年の退職以降、実際は2017年の未完成作品を最後に、一切制作から遠ざかってしまいました。
2022年に約5年のブランクを経て、NFTアートとの出会いをきっかけに、再び今度はデジタルでの作品制作を再開し、アーティストとしての活動を再開しましたが、まだこれがどう展開していくのかはわかりませんし、作品のコンセプトも自分でもよくわかっておらず、今はまだ言語化することはできません。
いずれ時が経てば、今やっていることの自己評価も定まり、私のアーティストとしての全貌が見えてくるのかもしれませんが、今はとにかく自分がやりたいことを続けていくのみです。
デジタルの可能性はまだよくわかりませんが、アナログ時代にはなかった利点もあると私は感じています。アナログであれデジタルであれ、作品はやはり私の表現行為であり、そこには私自身の考えや心情がちゃんと表現されているものだと思います。
まだ私のアーティスト人生は終わっていません。ピークは過ぎたのかもしれませんが、まだまだ現在進行形で続いていきます。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
XYZM 2022
トップへ戻る