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1994年、私はロンドンに留学しました。それまで勤めていた高校の美術教師を辞め、全く知り合いのいないイギリスに渡り、もう一度1から大学に入り、アートを勉強しようと思いました。
仕事を辞めるということは、とても大きな決断でしたが、まだアーティストとして活躍したい
という気持ちが強く、その捨てきれない夢をかなえるための最適な方法がロンドン留学だと思ったのでした。
とにかく安定した生活をかなぐり捨て、私の新たな人生のスタートです。そしてこれが私の第2の青春であり、そして私のアーティスト人生を大きく変える転換点となりました。
ロンドンに滞在したのは4年間、その前に半年、イギリス南部のホーブという町の語学学校に通い英語の勉強をしましたから、トータルの留学期間は4年半ですが、留学をして本当に良かったと思います。
もしイギリスに留学していなかったら、今の私はありません。私の人生は全く違うものになっていました。
ロンドンにいた4年間、私は毎日朝から晩まで制作に励みました。これほどまでに制作に没頭したことは、後にも先にもありません。
でもこのころは制作するのが何よりも楽しかったし、日々、自分の進化を実感できました。私のアーティスト人生の中で、最も充実して制作に没頭した時期だったと言えるでしょう。
ロンドン留学は私にとって、アーティストとして 最大の転機となりました。それは現代美術との出会いでした。
当時私が最も影響を受けたアーティストはソル・ルウィットでした。線と面(形)、有機と無機を対比させ、色彩をなくすことで、できるだけシンプルに描きたかったのです。絵画というよりは、ミニマムなドローイングを描きたいと思いました。
そして次のステージで、私はコンセプチュアルアートに出会い、また新たな作風の転換を迎えるのですが、このミニマムドローイングのシリーズは、それと並行して、ロンドン滞在中ずっと継続していきました。
まずはこちらの抽象作品のシリーズからご紹介します。
recyclable printing / 770 x 550 mm / screen print on paper / 1995 / Ed.100
THE TIMES (95-4-1) / 770 x 550 mm / screen print on paper / 1995 / Ed.10
”This is the front page of The Times the day after the 1995 Kobe Earthquake. Except for the barcode, it's full of sadness.”
no smoking / 770 x 550 mm / screen print on paper / 1995 / Ed.10
Marlboro (95-3-1) / 770 x 550 mm / screen print on paper / 1995 / Ed.10
man & woman / 770 x 550 mm / screen print on paper / 1995 / Ed.10
a person sitting in a wheelchair / 770 x 550 mm / screen print on paper / 1995 / Ed.10
Coke 95/ 1100 x 770 mm / screen print on paper / 1995 / Ed.5
Coke 95-2 / 1100 x 770 mm / screen print on paper / 1995 / Ed.5
Coke 95-3 / 800 x 600 x 25 mm / screen print on acrylic sheet, cans, frame / 1995
MIND THE GAP / 1100 x 770 mm / photographs on paper / 1995
MIND THE GAP 2 / 1100 x 770 mm / photographs on paper / 1995
MIND THE GAP 3 / dimensions valuable / collagraph, screen print on paper / 1995
untitled / installation at show windows , Central St. Martins College / 1996
MA Degree show installation at Central St. Martins College 1996
my obsessions / 1100 x 770 mm / screen print on paper / 1996
my obessions / post cards / 1996
untitled (from "my obsessions")/screen print on fabric, wood panels, mannequins, paint / 1996
untitled (from "my obsessions")/screen print on fabric, wood panels, 2000 x 4000 mm / 1996
untitled (from "my obsessions")/screen print on fabric, wood panels, mannequins, paint / 1500 x 6600 mm / 1996
ロンドン時代 2
私がここでやろうとしたことは、街中にあるいろいろな標識や標示、あるいは広告などを、全く色も形も変えないで、そっくりそのままコピーしただけの作品を作ること。
では何を変えたのかと言うと、それらの置かれた文脈を変えたことです。同じビジュアルイメージ、つまりおなじサインでも、文脈が変われば、意味が変わる。 イメージをストリートからアートの文脈に移すだけで意味を変える、それが私がやりたかったことなのです。
わかりやすい例で言うと、私の作品「man&woman」は、トイレのサインをそっくりそのままコピーしてシルクスクリーンで印刷した作品ですが、ひとたびアートの文脈に入れられると、それはトイレを表すものではなく、ジェンダーの問題を問いかけるという意味を持った作品になります。
このようにして、私は街の中にある、さまざまな道路標識や公共の表示、そして広告などをそのままコピーしてシルクスクリーンの作品にしていきました。
コカ・コーラのサインは、資本主義、あるいは商業主義の象徴ですが、ここで私がやりたかったのは、当時の私にとっての一番のヒーローであった、アンディー・ウォーホルの模倣です。
彼自身、オリジナリティーとは何かという問いかけをした人ですが、私も彼のコンセプトに習って、オリジナリティーとは何かという問いかけを、あえて彼の作品そのもののコピーではなく、アーティストとしての彼のコンセプトそのものをコピーすることで、再び問題提起したかったのです。
人は模倣する生き物である。真似るということは学習するということであり、人はいろんな人のコピーをする事で、自らの自我を形成する。
ではオリジナリティーはないのか。人はいろんな人からそれぞれ一部をコピーし、「私」という人間は、そのコピーしたものの組み合わせによって決まる。
したがって、私という人間は、様々な人の考えのコピーでできているが、その組み合わせこそは、私だけの唯一無二のもので、それが私という人間の独自性なのである。
私はこの哲学のもとに、私のアイデンティティーとは何かを見つけるために作品を作りました。
そしてそれはオリジナル至上主義ではなく、過去の美術の歴史や、現在の様々なアイティストの作品から受けた影響の上にあることを理解し、私の好きなアーティストの作品ではなく、そのコンセプトをコピーすることから、オリジナリティーとは何かという問いかけをしたかったのです。
アンディー・ウォーホルの次に私がコピーしたのは、バーバラ・クルーガーであり、ジェニー・ホルツァーでした。
「MIND THE GAP」 のシリーズは、これらの作品の集大成です。地下鉄のホームに書かれていたこのサインを、アートの文脈に移すことで、私はその意味を、「人と人との間には溝がある。それに注意しなさい。」という意味に変えました。
そして私は一切のビジュアルイメージを排除して、ジェニー・ホルツァーのごとくテキストだけの作品を作りました。
ただしそのテキストは、私が考えたのではなく、あくまで街中やいろんなところに書かれている表示などの文章を引用し、つまりコピーして切り取って、別の文脈に移し替えたものです。
それを組み合わせて、私は1つの詩を作りました。それが私の1つの到達点であり、今度はまたしてもジェニー・ホルツァーに習って、そのテキストを様々な媒体に印刷し、それをアート作品として展示しました。それが私のセントラル・セントマーチンス大学での修了制作です。
次のプロジェクトは「地下鉄の中の展覧会」です。
今度は逆にアートとして作った作品を、アートの文脈からストリートへ移したら、いったいどうなるのだろうという実験です。
ここで言うストリートが地下鉄でした。
私が毎日通学で利用している地下鉄から私は「MIND THE GAP」という言葉をもらい、アート作品にしました。今度は私が作ったアート作品を地下鉄に持ち込んでみたのです。
作品はバーバラ・クルーガーの作品の様式を真似て、まるで彼女の作品であるかのような作品を作りました。
ストリートに作品を置くというのも、まさに彼女のコンセプトです。
彼女の手法を真似ることで、この作品にはオリジナリティーがないと批判されるだろうことは容易に想像がつきます。
しかし、先に述べた哲学に従えば、いくら彼女を真似ようとも、真似しても真似できないもの、彼女の作品と私の作品との微妙な差異、そこにこそ私の独自性、オリジナリティーがあるのではないか。
そう考えた私は、私自身まだわからなかった私の独自性をそこに発見したいと思い、この作品及びプロジェクトを試みました。
Everyone has his own god in his mind. / 1100 x 770 mm / screen print on paper / 1997 / Ed.8
Everyone has her own god in her mind. / 1100 x 770 mm / screen print on paper / 1997 / Ed.8
You must be free from your obsessions. / 1100 x 770 mm / screen print on paper / 1997 / Ed.8
I must be free from your obsessions. / 770 x1100 mm / screen print on paper / 1997 / Ed.8
I hurt her with my words. / 770 x 1100 mm / screen print on paper / 1997 / Ed.8
Love is not for sale. / 770 x 1100 mm / screen print on paper / 1997 / Ed.8
Hungry please help if you can. / 770 x 770 mm / screen print on paper / 1997 / Ed.8
To forget is to live. / 1100 x 770 mm / screen print on paper / 1997 / Ed.8
Exhibition on the Train 1997
鶏頭のある静物 / 125 x 125 mm / etching on paper / 1998
コスモス / 250 x 365 mm / etching on paper / 1999 / Ed.50
薔薇 / 275 x 365 mm / etching on paper / 1999 / Ed.50
椿 / 365 x 570 mm / etching on paper / 1999 / Ed.50
薔薇 / 365 x 570 mm / etching on paper / 1999 / Ed.50
牡丹 / 570 x 365 mm / etching on paper / 1999 / Ed.50
一輪の薔薇 / 650 x 910 mm / screen print on paper / 2000 / Ed.20
牡丹 1 / 650 x 910 mm / screen print on paper / 2000 / Ed.20
牡丹 2 / 650 x 910 mm / screen print on paper / 2000 / Ed.20
チューリップ 1 / 910 x 650 mm / screen print on paper / 2000 / Ed.20
チューリップ 2 / 650 x 910 mm / screen print on paper / 2000 / Ed.20
一輪の薔薇 / 650 x 910 mm / screen print on paper / 2000 / Ed.16
牡丹 1 / 650 x 910 mm / screen print on paper / 2000 / Ed.20
牡丹 2 / 650 x 910 mm / screen print on paper / 2000 / Ed.20
チューリップ 1 / 910 x 650 mm / screen print on paper / 2000 / Ed.20
チューリップ 2 / 650 x 910 mm / screen print on paper / 2000 / Ed.20
LOVE SONG / 650 x 910 mm / screen print on paper / 2001 / Ed.10
MOTHER / 650 x 910 mm / screen print on paper / 2001 / Ed.8
MEMORY / 650 x 910 mm / screen print on paper / 2002 / Ed.20
LOST MEMORIES / 650 x 910 mm / screen print on paper / 2003 / Ed.18
FLOW / 650 x 910 mm / screen print on paper / 2003 / Ed.18
Filled(満たされる) / 麻紙、岩絵具/ 333 X 242 mm / 2004年
Dependence (依存)/ 麻紙、岩絵具 / 333 X 242 mm / 2004年
Gentleness (やさしさ)/ 麻紙、岩絵具 / 910X 652 mm / 2004年
Nearness of you (あなたの近く)/ 麻紙、岩絵具 / 910X 652 mm / 2004
日本での再出発
ロンドンから日本へ帰国した後の私は、環境の変化にすぐには適応出来ず、制作の場も発表の場も得られず、しばらく苦労しました。
ロンドン時代のコンセプトをそのまま継続してアーティスト活動をしようと思いましたが、思うようにいかず、一旦は挫折します。
その後大学教員となり、制作および発表の場を得ることはできましたが、今度は見えない圧力による制限があり、ロンドンで私がやってきたことも評価されず、私は作品のスタイルを変えざるを得ませんでした。
人間は環境によって変わる生き物だということを痛感しました。
それでも私は制作は辞めませんでした。どんな制約があろうとも、どんな環境下であろうとも、作品とは私の表現であり、そこには私自身が表現されています。
とにかく私は、当時の環境下でできること、そして受け入れられるであろう作品を制作し、発表を続けました。
今見れば、それらの作品は、やはり当時の私自身であり、私の考えや心情をはっきりと現しています。
XYZM 2022
2005年より、花の雌しべ、雄しべの部分をクローズアップして描写するスタイルの日本画制作を行ってきた。 それは、生命体に組み込まれたDNAの情報により、遺伝子が受け継がれ、新たな生命が生まれ、個体としての生命は終わっても、種としての生命は続いていくというまさに自然の神秘を象徴的に表す部分としてとらえていた。
テーマはその自然に対する尊厳と、暗にその対照的な人間の作った文明に対する警鐘をこめたものである。
このテーマは以来ずっと続いていて、それをどうしたら表現できるのか、未だ模索中である。2008年に「生命の記憶」 というタイトルで続けてきた作品は、2009年より、少し変化し、同じく花のクローズアップではあるが、枯れかけた花、とりわけ落ちた椿の花を描くようになった。このテーマでいろんな花を描いてみたが、一番多く描き、テーマにあう花は椿であった。それは椿の花が大振りで、特に雄しべ、雌しべの部分が大きくはっきりしていることが最大の理由であるが、椿の花が地面に落ちている姿を見て、まるでまだ生きているかのように生々しく美しい姿に、ドキリとさせられたのが、この「生命の変遷」シリーズへの移行のきっかけであった。
そこで、生と死の境目は何なのか、人はものの形は見ることが出来ても、その中にある細胞あるいは自然の仕組みといったものまでは、決して見ることが出来ないのではないかというように考えさせられた。落ちた椿をスケッチし、構想を練るなかで、この見えない自然の仕組みを何とか表現できないかとの想いから、写真を使い細部をクローズアップし、やがては人間の視点から、昆虫などの小生物の視点ではどう見えるのだろうと考え、椿の花を巨大な画面に拡大して描くことを思いついた。
日本画制作は180x270 cm の大作を描き、その後 小品では全く別の視点から、部分をクローズアップしたものをトリミングし、それが何か、花の形状がわからないようなアプローチを試みた。しかしどうしても形を描かないと、しっくりいかず、また元に戻るという試行錯誤の中にいる。枯れた花に、「わび、さび」 を感じるという人もいるが、私の意志としては、個体、種としての生と死、とりわけ生態系の危機的状況を憂いたものとして、物言わぬ花を描いてみようとしたものである。
XYZM 2014
生命の記憶
Memory of Life
最近いろいろなメディアで、環境問題が多く取り上げられるようになり、私も少なからず関心を持つようになった。しかし、いろいろなことが言われている中で、何が正しいのか、どうすればよいのかがよくわからない。だから私はここで、環境問題について何か発言しようとしているのではない。ただ自然を破壊し続ける人間に対し、「人工」の対義語である「自然」に、よりいっそうの興味と敬意を抱くようになった。
ここでいう記憶とは、いわゆる我々が生きて経験してきたことを覚えているという、個人の記憶のことではなく、生命体の遺伝子に刻まれ、世代を越えて伝わっていく、自然環境に適応し生きていくための情報のことだ。私はその「生命の記憶」とでも呼ぶものに、ただただ自然の神秘と偉大さを感じずにはいられない。
ここで紹介するのは、花(椿)をモチーフに、DNAに刻まれた情報が宿る象徴的な部分として、雌しべ、雄しべのクローズアップを描いた作品と、原生林を取材した中から、循環を繰り返す生態系の象徴としての森と、その樹木を描いたものである。
岩絵具を使った日本画や木版画で表現しているのは、実際触れることのできない自然そのもの(生態系のシステム)に、少しでも手で触れるような感触を得たいとの想いから、素材(絵具)の物質感にこだわったためだ。
生命の変遷(作品について) 2015年
2005年以来、花の雌しべ、雄しべの部分をクローズアップして描写するスタイルの日本画制作を行ってきた。それは生命とは何かという問いに対するアプローチであり、生命という言葉を、私は全ての生き物、植物を含んだものとして使っている。生命はまた、自然の一部であり、自然とは地球に誕生して以来、ずっと持続可能なものとして続いてきたものだ。
DNAの情報によって、たとえ個としての生命が死んだとしても、その遺伝子は新たに生まれてくる新しい生命に引 き継がれる。だから、種としての生命は、決して終わることがない。それが自然の生命の循環である。私はこの自然の生態の仕組みを素晴らしいもの、また神秘的だと思う。そこで私は花の雄しべと雌しべの部分を、この仕組みを象徴するものとして描こうと思った。そこはまさにDNAが存在する場所だ。
私は、2005年から始めたこの作品のシリーズを「記憶の断片」と名付けた。生命の情報は、DNAに記憶されている。したがって、これは記憶を象徴する部分である。
なぜ椿の花を選んだかというと、椿は雌しべと雄しべの部分が非常に大きく、目立っているからだ。それは私の絵を見れば明らかであるように、私は意図してイメージを断片化した。この拡大した花のサイズは、私のコンセプトを示すのに都合が良かった。見る人はその断片化された部分の画像から、大きな花の全体像を想像することができる。
この時私は、椿の花の中心部分だけを描いた。したがってその花が、木の上の花か、落ちた花かはどうでもよかった。
しかし後に、私はより多く、傷んだ花や、地面に落ちた花を描くように移行していった。
地面に落ちた花を見たとき、それは非常に生々しく、まるでまだ生きているかのようだった。私はその姿に魅了された。私はその花がまだ生きているのか、あるいは死んでいるのかを疑った。そこで私は生と死の境界はどこにあるのだろうと考えた。
タイトルは、絵画に込めた作者の言いたいことや、意味を理解するためのヒントとなる。2005年に「記憶の断片」のシリーズを始めて以来、そのコンセプトは2008年からの「生命の記憶」、そして2009年からの「生命の変遷」へとそれはつながっていった。そして2011年からの、もう一つのシリーズは「不可視の生命」と名付けられた。
私がつけたタイトル「不可視の生命」とは、我々が目にすることが出来るのは、ものの形や色であるが、たとえばDNAに刻まれた情報、自然の生態系の本質など、実際に目で見ることが出来ないものもある。それらを不可視の生命というタイトルで表したかったためである。しかしまだ暗中模索である。つまり、目に見えないものをいかにして視覚に訴える表現にするかというのが、課題である。答えはまだ見つかっていない。
はじめ、私は花の一番美しい時期を描いてきた。しかし徐々に私は傷んだ花を描くようになり、花の個体としての生命の短い一生にフォーカスするように変わっていった。
普通、伝統的な日本の画家たちは、花々をその一番美しい時期の状態で描いた。風景、四季、動物、鳥、そして花は人気のある日本画のモチーフだった。しかし私はリアリティーを追求したかった。そのためゴッホのひまわりのように、枯れかけた花を好んで描いた。
また別のシリーズは「生命の喜び」というタイトルが付けられた。私はこのシリーズの作品に2つの意味を込めてこのタイトルを付けた。1つは自然に対する尊厳、そしてもう一つは私の内なる感情と記憶である。
私は時々そういったものを作品のタイトルに込める。「生命の喜び」とは私の夢である。モチーフは今回も椿である。しかし今回私は、拡大したイメージの一部をトリミングし、さらにフオーカスをぼかすことにより、イメージをより曖昧にした。それはまるで抽象画のようでもある。ここでは形よりも色、光、雰囲気がより重要である。
一方で、私はまた版画も手がけてきた。私は異なる素材や技法、方法によってどんな違いがもたらされるのかを研究しようとしてきた。日本の美術大学を卒業したとき、私の専攻は日本画だった。その後私は4年と半年、ロンドンに留学した。留学の目的は異文化に触れることと、そこで版画を学ぶことだった。そこで私は、版画と写真を中心に学んだ。私はそこで、非常に異なった文化を経験した。特に私がロンドンで学んだ西洋の現代美術と日本画は、全く異なるものだった。
今、私はいかにしてこれら2つを融合できないかと考えている。私はまだ自分自身に問いかけている。私は何をすべきか、またそもそもアートとは何か。私が常に考えているのは、1人のアーティストとして、また社会の一員として、社会に対して私にいったい何が出来るのかということである。これはあまりに大きなテーマである。だからここでこれ以上言うことは何もない。
ロンドンで、私はエッチング、リトグラフ、シルクスクリーンなど、様々な版画の技法を学んだ。 そして一番旺盛に取り組んだのは、シルクスクリーンだった。
この「生命の喜び」のシリーズにおいて、私はいくつかの実験を楽しんだ。多分私はそれらを制作しているとき、喜びを感じていたであろう。私はそれらを正確には描かなかった。そして私は、日本画という水性の絵具で、乾燥するまで仕上がりの状態が見えないという特徴を持つ素材がもたらす、偶然性という結果に至るプロセスを楽しんでいた。それはコントロールするのが難しく、版画に似ているかもしれない。それは日本画絵具という素材そのものの喜びだと私は思う。
私は自分で撮った写真から、細部のイメージを拡大し、切り取って使った。これは最近の私の絵画の手法だが、私は絵画を制作する過程で、写真も使っている。
私が写真を使うのは、ロンドンで、版画と写真のコースで学んだ影響かもしれない。そこで私は写真と絵画の違いを考えている。従来、伝統的な日本画家は、写真を使わなかった。理由は当時は写真というものが存在しなかったためだが、後に写真が広まってからも、彼らは自らの肉眼でものを見て描き、決して写真を使うことはなかった。しかし、私は写真を使うことに抵抗はない。絵画と写真はそもそも異なるメディアである。いかにしてこの両者を融合させるかということは、方法論的なテーマであり、私の作品のコンセプトとつながってくるものである。
写真はイメージの非常に細かな細部を、簡単に記録することを可能にする。特にデジタルフォトのテクノロジーは、私たちにその新しいイメージを簡単に得ることを可能にしてくれた。私はこれを写真の利点の一つだと考える。我々は、肉眼では見ることが困難な、細部のイメージも、画像を拡大することで見ることが出来る。
そして写真のもう一つの利点あるいは特徴は、写真はドキュメンタリーとして使われることである。つまり、それは事実であるということであり、人々に物事のリアリティーを示すことができるということである。
それでは、なぜ私が絵画という表現手段を用いるのかを示そう。私が写真から絵画へイメージを変換する過程において、私はほとんどイメージを加工したり変形したりしていない。私はただ絵具そのものの持つ物質的なテクスチャーが欲しかったことと、私の身体の表現の痕跡をそこに残したかったからだ。
私は写真を完璧に絵画にコピーすることはできない。したがって、いくつかの重要でない部分を省略したり、ある部分を好きなように強調したりする。
これらの拡大されたイメージは、実物のサイズより大きい。これもまた、伝統的な日本画家はやらなかったことだ。
私がこのようにした理由は、小さな昆虫の視点で花を見たいと思ったからである。そうすると花はとても大きなサイズになる。視点を変えることは、人間と自然との関係を変えること、あるいはその関係を理解することを暗に示している。
例えば花の場合、それらは他の植物たちや、動物たち、小さな昆虫たちとの共存のバランスによって存在している。昆虫たちの協力によって、花は新たな生命を生み出すことができる。そこでは自然のバランスが働いている。
人間の目による視覚では、花は実際の大きさでいつも認識される。しかし、昆虫の視点で見たら、いったいどのように見えるのだろう。私の推測では、彼らには花の全体像は見えていないのではないかと思う。
それが私の作品で採った、サイズの変更という手法の理由である。時にそれは、それが何かわからないまでに大きく拡大され、イメージは曖昧になる。
次に、私の新しいシリーズの「生命の変遷」について述べよう。それらは地面に落ちた花たちである。地面に落ちた花は既に死んでいる。それが意味するところは、それらは姿を変え、やがて土に帰り、そしてまた新しい生命が誕生するということだ。
それは自然の生態系による循環である。花は個体としての生命は終えるが、種としての生命は終わっていない。植物として、持続可能な生態系の一部となっている。
人間の生命は個体として終わると私は思う。我々もまた自然の生命を生きているが、個人として社会的にもまた生きている。
彼らは違う生き方をしていると私は思う。私はこの生態系をうらやましく思う。私は自然をリスペクトする。対照的に、人間が作った文明やテクノロジーの発達は、この自然の生態系にダメージを与えている。 私は私の作品を通して、この状況に警鐘を鳴らすとともに、静かに批判している。
花のシリーズを制作する前に、私は原生林の樹木の絵画作品をいくつか制作した。私は森を訪れ、調査した。それから私はいくつかの作品を作った。そのとき私は、ビデオの作品も手がけた。それらの作品を通して、私は自然への尊厳と、その神秘的な力を表現しようと試みた。
約10年前、私は、京都、美山町にある芦生の森を始めて訪れた。そこは伝統的な、茅葺き屋根の集落で有名な村だ。私はこの地区の原生林をビデオに収め、作品にした。
それは約1時間に及ぶ。暗闇から始まり、徐々に明るくなっていく。そしてまた暗くなって終わる。ほとんどが天然林で、そのうちのいくらかの部分が原生林である。原生林とは、人間の手が全く加わっていないという意味だ。
したがって我々は、その調査によって、生態系がどのように機能しているかを学ぶことが出来る。私は森を生態系のサイクルの象徴、また自然の力の象徴として表現した。我々は、生物が他の種の生物とともに、どう生き延びて行くかを学ぶことが出来る。彼らは共生しながら、そのバランスを維持することができる。
それは朝から晩へと繰り返される、自然のサイクルの中の、森の1日のようだ。この作品の目的は、第一に私が森の美しさを観者に伝えたかったことである。そして次に、私はこの森を1人のガイドとともに訪れた。彼はこの森で何十年にもわたり、植物と生態系の研究を続けている植物学者である。
彼と一緒に森を歩きながら、私は彼からレクチャーを受けた。私は生態系について理解し、興味を持つようになった。そして生態系の危機についても理解し興味を持つようになった、これが出発点である。二酸化炭素ガスによって引き起こされる、気温上昇による気候の変化のため、森は今、危機的状況にある。
森は今、劇的に悪い方向に変化している。しかしまだそれは美しい。そこには樹齢何百年の木がある。私は自然のパワーを感じた。一方で、人間によってもたらされたダメージは今深刻になっている。私はそれを批判するために、自然の効果音(鳥の鳴き声、蝉の声など)を使った。私は何度も重ねてそれをダビングし、その音がだんだん大きくなっていくようにした。最後にそれは非常にうるさくなる。それは暗に、ある種の動物や昆虫の個体数の、自然のバランスが崩れたことを意味している。
私はかつて多くの異なるメディアを使って作品を制作した。1994年から98年まで、ロンドン留学中には、多くの版画、特にシルクスクリーンや銅版画を手がけた。私はまた、写真のイメージにも取り組み、それを版画に取り入れた。作品ののテーマもまた変化し、私は何度もテーマを変えた。
転機は二度訪れた。最初はロンドン滞在中、そして二度目は大学勤務中に、原生林を訪れた時である。
ロンドンにいた時の私のテーマはコミュニケーションであった。私は言語と人間に関心があった。私の興味は、異なる文化にある人同士が、互いにどうやって理解し合えるかを探求することであった。
しかし、生態学について学んだあと、私は人間がいかに愚かであるかを思い知らされた。その点において、私は大きな失望を覚えた。
しかし私はまだ制作を続けている。私の作品を通して何らかのメッセージを発信している。それは私がまだ、社会に対して小さな希望を抱いているからである。その社会は私も含んだ我々によって作られている。
絶滅危惧種シリーズ
このシリーズでは、絶滅危惧種に指定されている(2016年現在)動物たちを描いている。このシリーズを始めるきっかけとなったのは、森林をテーマに制作し、取材をし、エコロジーに関心を持つようになり、結果として、いやがおうでも直面せざるをえなかった「地球温暖化」の問題について、考えるようになったことである。
現在その地球温暖化が、地球上の生物に様々な負の影響を与えているということが解ってきた。それは植物のみならず、動物も含め、現在、「生物多様性」という、自然界のとても大切な秩序が、劇的に破壊されようとしている最大の原因ではないかと言われている。
学術的には学者により諸説があり、若干の差異はあるものの、現在、爆発的なスピードで絶滅する生物種の数が増え続けている。このままでは、近い将来、生物種の多様性が損なわれ、生態系のバランスが崩れ、何らかの地質学的な自然環境の変化に適応できず、地球上の生物が絶滅してしまう可能性も否定できない。
これ程までに深刻な環境破壊を引き起こした原因は何か。地球温暖化が大きく関わっているという説が有力だが、それだけではないという学者もいる。その割合はさておき、地球温暖化も含め、環境の変化は、過去においては太陽活動の変化等、すべてが自然に起因するものであった。ところが今回の環境の変化(破壊)は、どうやら人間の経済活動、生活のための環境への働きかけが原因であるとする説が強い。つまりわれわれ人間が引き起こした危機である。
この責任を人類はどうやって取るのか、あるいは取ることが可能なのか。私は科学者ではない。ただ一人のアーティストとして、何ができるかといえば、作品を通じて、人々に訴えかけるほかない。もちろん個人としてどう生きるかということもあるが。
まずは、人間のしてきた過ちを認め、これからどうすべきかを考えるということを、人々と共有したい。それには、いろいろな情報を得て、それを自分の中で取捨選択し、結びつけて、答えを導き、それに従って行動するしかないと思われる。
いずれにせよ、地球が生物のいない惑星になることを私は望まない。持続可能な自然環境を保持し続けることをただ願うのみである。いやがおうにも、この問題は次の世代を生きる世界中の人たちと共有しなければならない。